格局(かっきょく)の分類である、従格(じゅうかく)と内格(ないかく)。この用語を初めて知ったのは、今から20年以上前に、三木照山(みきしょうざん)先生の四柱推命本を読んだときです。
その本によると、従格(外格)になる方は非常に少ないとか何とか書いていました。全体の1%?いや、もっと少ない割合って書いてたような気がします(正しい数字は忘れました)。
従格(じゅうかく)になる方は少ないと聞いていたのだが・・・
そして時が経ち、縁あって中国式四柱推命を知り、今の仕事を始めました。そして学びたての知識を用いて、色々なお客様の命式を拝見していく中で、ある事実に早々に気付きました。もう10年以上前に、そのことに気付いてました。その事実とは・・・・。
従格(じゅうかく)になる人はけっこういる。ただし中国式四柱推命の理論による。
従格(じゅうかく)になる人って、案外多い。全体の1%どころではない。10%?いや、全体の30%くらいは従格なのでは?と感じてます。従格の方は世の中に溢れています。
従格(じゅうかく)は凄く貴重な存在というか、従格になる人は、すごく少ないと知識として聞いていました。ところが仕事をしていく過程で、ポンポン次から次に従格の人が現れるので当初は戸惑いました。あるご相談では、ご家族3人全員が従格(じゅうかく)なんてこともありました。そのあたりから、「従格ってけっこう多いんだな」と認識を改めました。別に従格(じゅうかく)だからと言って、特別な稀な存在というわけでもないということです。
従格(じゅうかく)にも良しあしがあった。良い従格、良くない従格。
そして仕事をしていく中で、また、あることに早々に気付きました。言い方が適切かどうか自信がありませんが言います。「従格もピンからキリまで」ということです。言い換えれば、良い従格もあれば、良くない従格もあるということです。従格になったから運勢は必ず強いかというと、そうとは限らないということ。
私の行う中国式の四柱推命だと、従格成立の仕方も千差万別でして、「ギリギリで内格にならず、どうにかこうにか、やっとかっと従格になった従格」だと宜しくありません。このようなギリギリ従格だと、良くない運気の影響を受けやすいところがあります。
非常に良い従格(じゅうかく)も少ないが存在する。
もちろん、「内格の可能性がゼロ」で成立した完全無比な従格(じゅうかく)の方も、かなり少ないですがいらっしゃいました(16年の仕事の中では数名程度)。この完全無比な従格(じゅうかく)こそ、全体のうち1%もいるか分からないほどの割合だと感じます。三木照山先生のされる四柱推命での従格(じゅうかく)とは、この数少ない完全無比な従格の方を指すのではと思います。
その従格(じゅうかく)ですが、別に特別な存在というわけではありません。従格の方は、いたって普通の人間でありスーパーサイヤ人でもスーパーマンでもありません。中には能力が凄い従格の方もいますが、それは内格の方でも同じでして、内格の方でもスーパーマンみたいな方はいます。
従格って、いったい何がいいの?何が良くないの?
従格(じゅうかく)の良さ。色々と沢山ありますよ。代表的なものを少し挙げますと、「個性を発揮しやすい。良い意味で個性的。独立心が旺盛。高い専門性を身に付けて仕事をしやすい」といったところでしょうか。自身の進路に迷うとか、やりたいことが見つからないとか、そんな感じは比較的に少ないのではと思います(育った環境などにもよります)。
それよりも、自身の進路や夢や目標をどうやったら実現できるか(その方法論やルートが少なかったり狭き門だったりする)で、けっこう悩んだり葛藤したり、ひたすら何年も努力し続けて時間を多く費やすなど見られます。傾向として、従格の方は一般大多数の方が進むような方向(進路や仕事)に進まなかったりが見られます。そして、その方向で上手くいかなかった時、生きていくために(稼ぐために)、意に沿わない仕事をすることがあります。そのあたりの現実的なことを受け入れる度量はあります。
その際の、「これじゃない感。こんなことするために何年も頑張ってきたわけではない感」が体感上、強烈すぎるのが弱点というか泣き所でしょう。その際に多くの従格の方が猛烈な違和感と挫折感を味わいます。
その違和感と挫折感を1度でも味わってしまうと、2度とその猛烈な違和感や挫折感を味わいたくないということで「自身の1番の夢や希望」にフタをしてしまいます。就職した会社で長いものに巻かれながら大人しく自身を押し殺して働く。「もう夢は叶わないんだ。夢を追うことは諦めよう。大人になろう。もう十分に頑張ったし。きっと向いてなかったんだよ」と変な納得の仕方をする。
その後、勤めてる会社をやめたあとも、自身の夢にチャレンジはせず、無難に就職できそうな、「自分らしい・自分がやりたいこととは、ほど遠い職業」に就いたりが見られます(生きていくためです。その他、目指した職業と関連がある仕事だと思いだしてしまうためかもしれません)。でも、それがどうしても我慢ならなくなると、また再チャレンジすることがあります。再チャレンジをしやすい方は、従格(じゅうかく)自体のパワーが強い方です。専門的な言い方をすると、従神(じゅうしん)が強い方です。
従格(じゅうかく)の人は道なきところを突き進む開拓者であり先駆者の気風がある
従格(じゅうかく)の方の夢や希望は、一般的には、「叶えることが少し難しい。どうやったら、その職業に就けるか明確な答えは無い。その仕事をするためには狭き門をすり抜けないといけない」のようなものが少なくありません。それでもお構いなしに、自身の信念と野望を燃えたぎらせながら真っすぐに突き進みます。荒地をブルドーザーで突き進むかのようにひたすら最短距離で目標に進みます。
しかし、そんな大成功を収める従格(じゅうかく)の方は残念ながら一握りです。そして従格の方の多くが、自身の夢や希望を完全に実現できてるわけではありません。ある人は夢かなわず、夢を追うことをやめて民間の中小企業で働いていたり、ある人はバイトを3つ、あるいは4つと掛け持ちしながら夢を追っていたり、ある人は自身で個人事業を始めて、虎視眈々と大発展のタイミングをうかがっていたりなど様々です。
従格(じゅうかく)は運勢が強いとか仕事運が良いとか、よく言われがちですが、「自身の望む夢(仕事)」に就けてる方はそこまで多くありません。好きなことをして食べていける方は、いないことは無いですが限られてます。
従格(じゅうかく)の方は、夢破れたあとの身の処し方が非常に悲哀と葛藤に満ち溢れています。私(武田)も中国式四柱推命でみると、従格(じゅうかく)に該当しますが、私はたまたま運良く、今の仕事で個人事業が上手くいき、その後、法人成りしました。今まで16年、仕事が続いていますが、上手くいく、上手くいかないは紙一重といった感があります。従格だから起業すれば必ず上手くいくとは限りません。
内格になる人は多いが、内格も色々と違いはある。
次に内格(ないかく)の説明をします。内格になる人は全体の半分以上だと感じてます。従格(じゅうかく)になる方が3割前後で、残り7割前後の方は内格(ないかく)になると感じています。内格の方もやはり言ってしまえば「ピンからキリまで」でして、良い内格もあれば、あまりパッとしない内格もあります。
そして、従格の方よりも内格の方のほうが「ピンとキリの差」が大きいように感じてます。従格の場合、ある程度の条件を満たさないと従格にならないので、その時点で第1段階の試験に合格しているようなものです。対して内格の場合、「内格が成立するための試験」は特にありません。
従格(じゅうかく)にならなかった命式は無条件で全て内格(ないかく)に分類されますので、そういう意味で「内格と言っても、その特徴や運気の強さは、かなり幅があり良しあしの差も大きい」と感じてます。
内格の人は集団、大多数、グループ、組織、一般的なことから大きく外れることを好まない
私が思う、内格(ないかく)の方の大きな特徴と言えば、そのバランス感覚であり、突出した個性を持たず、また、そんな個性を持とうとも思わず、出そうともしない一般的な価値観を備えていることに尽きると思います。その点が従格(じゅうかく)の方と大きく異なる点と言えるでしょう。
内格(ないかく)の方は傾向として、集団や組織から大きくはみ出さないことを信条とし、人生においても、大きく冒険しないこと、一般的な道から大きくはみ出さないことを望みます。結果、波風は少な目で無難で平穏で波乱少ない人生行路になりやすいです。
私(従格)からすると、波風が少ない無難で平穏な人生はあまり望まないのですが(仕事においては特に)、内格の方はその逆の人生を求めます。冒険は好みませんし、リスクのあることはあまりしようとしません(起業することなど)。結果、平穏無事な人生になりやすい傾向があります。
私からすると、内格の方を見ていて、「そんな普通な、一見平凡な人生、楽しいんだろうか?満足しているのだろうか?」と感じることが時々あるのですが、内格の方にしてみれば、「それが1番落ち着く。心地よい」のだと思います。むしろ、急に今までと違うことをしたり、違う思考をしたり、違う生き方をすることこそ、違和感を感じたり、どこか落ち着かなくなったりするのでしょう。内格の方の感覚を、私が味わうことは死ぬまで不可能ですが、おそらく、そうなんだろうと思います。
内格(ないかく)の方は公務員や、一般民間企業、中間管理職、政治家などに向く
内格の方は協調性があり、組織内の和を保つことに長けてます。個性を出さずに同じことを繰り返す作業にも上手く順応できるので公務員(自治体職員、教員など)に向きます。その他、民間企業の従業員にも向きます。組織の歯車として不平や不満をあまり言わずに働けるということです。
その点では従格(じゅうかく)の方は公務員には向きませんし、組織の歯車として働き続けることは不適性と言えます。従格の方は、「自分自身にしかできない仕事」を志向するので周りの人間と同じ作業や同じ仕事をし続けるのは退屈すぎます。
内格の方は政治家にも適性があります。政治家というと、「従格のほうが向いているのでは?」と思われる方がいるかもしれませんが、政治家の仕事は案外、地味なものです。選挙の際もコツコツと有権者に頭を下げ続けて支持を訴えますが、従格の方が、そんなこと(人に頭を下げ続けること)を素直にできるとは思えません。
選挙に受かったら受かったで、大多数の議員の一員として色々なしがらみや派閥や会派など、制約がある中で動いていかないといけません。かなり窮屈さのある世界での仕事を強いられるのが政治家です。「自由さ」を追い求める従格(じゅうかく)の方は、政治家には不向きと言わざるを得ません。
一部、国会議員の方などで、かなり自由奔放にやってるような政治家の方がいますが(いましたが)、あれは稀な例です。ほとんどの政治家の方がルールを守りつつ仕事をしています。
続く・・・