弊社が開発した四柱推命ソフトウェア 「不動心(ふどうしん)」の名前について書いてみます。不動心(ふどうしん)という名前ですが、当然ではありますが、お不動様から来ています。不動明王(ふどうみょうおう)様です。
これは私の経験した話(実話)ですが、信じる信じないは皆さんのご自由です。弊社が開業して間もない頃(2009年)、とある地元の霊能者さん(男性)にみてもらいました(これまでに何度か相談をしていた方で、能力も確かな方)。こう言われました。
「あなたはお不動さんを祀ると仕事が上手くいきますよ。あなたはお不動様が見えます」
私はその霊能者さんの言葉を信じて、木彫りの小さなお不動様を購入しました(今でも机の近くに大事に置いています)。下記です。台座も含めて高さ12センチほどです。
その数年後、仕事が軌道に乗り、個人事業から法人成りしました。とあるきっかけで、ある方(霊視ができる女性の方)に、みてもらったところ、こう言われました。
「先生はお不動様が見えます」
違う能力者の方から、「同じこと(お不動様が見える)」を言われたので、さすがに、「へえ、そうなんだ(まじか!)」と思いました。この女性の方から言われるまでは、「お不動様ね~、へえ~(本当かね~)」ぐらいにしか思っていなかったです。開業当初、木彫りの小さなお不動様を購入したとは言え、掃除もせず、ほったらかし気味にして、お不動様はホコリをかぶっていました。
霊視ができる女性の方に尋ねました。
「開業した頃、とある霊能者さんに勧められて、木彫りのお不動様を購入したんですが、今まであまり目をかけず、ほったらかしにしていました。このお不動様は怒っているでしょうか?」と聞くと、「怒ってはいないですが、掃除してと言ってます(笑)」と言われました。
まあ、なんと!数年間、目をかけず、ほったらかしにしていたのに、このお不動様は怒りもせず、見捨てもせずに自身の仕事を発展に導いてくださったんだろうか。本当に尊い慈悲深い神様だ・・・と深く深く、今までの非礼、無礼を詫びて、その日は木彫りのお不動様を、綺麗な布で磨きまくりました。
神様(守ってくださる方?)は、その都度、その都度、チェンジするらしい
お不動様が見えるというのは、正直、何とも誇らしい気分になるものです。しかし、その後、その女性の方に見てもらう機会があった際に、「最近、お不動様は見えないです。何も見えません」と言われることが多くなりました。ちょうど、法人成りから数年経過して、仕事が安定期に入った頃でした。
開業当初や、法人成りした頃は、今現在と違い、日々が本当にハングリーで、とにかく毎日が真剣勝負、毎日の積み重ねで、何とか明日があるみたいな感じでした。今は、だいぶ気が抜けていますね(いけませんね)。
「これから、なんとか頑張って成功しよう!」と強い、燃えたぎるような情熱を持っていた2009年頃から2013年、2014年頃までの未熟な私には、まだまだ人間的に危なっかしい面もあり、お不動様からのご加護が、かなりあったのかもしれません(だから、お不動様が見えていた)。
2015年以降は、「もう、この男(武田)は少しは成長したから、これからは独りでやっていけるだろう。もう私(お不動様)は必要ない。あとは自身でなんとか頑張りなさい。さらばだ!バイビー!」ということなのだろうと勝手に解釈しています。
なんだか、寂しいような、成長を見届けてもらって嬉しいような心持ちです。また、お不動様に力を借りないといけない、大仕事をやる時が、そのうち来るかもしれません。
数年前、なぜ、自分にお不動様が見えたのか?が判明しました
これも実話です。数年前のことですが、実家の物置から、古びた不動明王様の像が出てきました。どうやら、武田家の少し前の方が、「不動明王様」を信仰していたらしいです。当時、その不動明王様を仏壇かどこかに置いて、ご先祖様が手を合わせていたのだろうと思います。
信じる信じないは皆さんのご自由です。
人生において、災難、トラブルに見舞われる理由として、「ご自身の心」に起因するものが多い気がします。例えばですが、ものすごく寂しくなって、相手を見極めず異性を次から次に求めて交際して、とんでもない相手と縁が生じて苦労する。
「ものすごく寂しくなる」という風に、「心が動きに動きまくった結果、自身で異性トラブルを招いている」と言えます。不動の気持ち、不動の心があれば、心寂しくても、落ち着いて過ごせた結果、見境なく異性を求める行動自体が無かったかもしれません。自分自身が異性を見境なく求めなければ、そんなとんでもない異性と縁が生じることもありません。心がぶれにぶれて揺れ動くがために、自らトラブルを招いている。そんな方が少なくないように思います。
「どうか皆さんに、不動の心、ぶれない強い心、気持ちを持ってほしい(そうすれば人生の災厄を最小限に防げるはず)」という思いを込めて、ソフトウェアに「不動心」と名付けました。心が安寧なら、自らの言動、行動も比較的に安寧なものになるはずです。運気が良くない年だから、必ず良くないことが起こる、運気が良い年だから、必ず良いことが起こるのではありません。運気が良くない年であっても、「心乱さず、慌てず、焦らず、不動の心」で過ごせれば、言動、行動もそこまで悪いものにならず、災厄は最小限になるのです。
反対に、運気が良い年であっても、「功を急いだり、成果、結果ばかり重視して、それまでの過程をないがしろにしたり、協力してくれた人、愛情を持ってくれている人への温かな優しい気持ちを忘れて、無理を通そうとする」と、良い運気に反したことが起こり得ます。結局は、「結果がどう出るか」の最終的なかじ取りは、「その方本人の心がけ次第、心が安寧かどうか」にかかってくるわけです。
運気が良くない時は、確かにきつい、心が無意識にきつくなります。それでも、心全てを、良くない運気に明け渡すのではなく、「今は運気が悪くとも、何とか耐えてやる、あと数か月の辛抱だ。あと数か月経てば運気が良くなる。それまでは何とか頑張ろう」という、心を動かさない不動心(ふどうしん)を心がけるといいです。