図書館で年鑑のデータ(生年月日)をノートに書き写す日々を送っていましたが、次第に飽きてきました。それでも、一応は1000名もの命式を出したんですから、我ながらよく頑張ったと思います。
「いつまでも、こんなことばかりしてても上達は無い!」と悟り、次のステップに入ります。それは・・・・
友人に生年月日を尋ねて、命式を出しまくる日々
四柱推命を初めて、まだ1年にも満たない時期でしたが、友人に声をかけて、生年月日を教えてもらい、命式を出すようになりました。もちろん、三柱推命です(笑)。当時は、「三柱推命」のデメリットをよくわかっていませんでした。「格局」を出す四柱推命もしていなかったです。時干支(じえと)の重要性も何も分かっていませんでした。
当時は、今現在、ネット上に跋扈(ばっこ)する、三柱推命プロの皆さんと何ら変わらない意識でした・・・・。
職場内の従業員に生年月日を聞きまくる日々
2003年に地元の某会社に就職しました。業務のかたわら、職場の同僚や上司、別部署の従業員に声をかけて(男性、女性問わず)、生年月日を聞いては、三柱推命で命式を出して、その結果を職場内で伝えてました。20代から60代の女性従業員にもだいぶ声を掛けましたが(生年月日を聞くため)、すぐに「私も占って!」状態になり、生年月日を聞くのは容易なことでした。今思えば、よくあんなに平気で女性に声をかけられたなと思います。ただただ、「四柱推命の勉強のため」だけに生年月日を聞いてました。
当時、私は、「自作の四柱推命ノート」を頻繁に職場に持っていってました。その自作のノートの中身は、当時、よく読んでいた、加藤大岳(かとうだいがく)先生の四柱推命書を書き写したものです。職場に仕事をしに行きつつ、時折、四柱推命の勉強もしに行くかのような日々を2003年から2008年ぐらいまで送りました。稀に、「お金出すから、私の友人を詳しく見てほしい」と言ってくる方もいました。
※翌年2009年にM&L コンサルティング(個人事業)で起業することになります。
2008年は「会社勤めが向かないのでは?」と悩む
前述の2003年に就職した会社は2008年の4月で退職しました。細かい理由は色々ありますが、退職を決意した大きな出来事は、「業務方針を巡っての上司との意見の衝突」でした。
その後、2008年5月にすぐに就職しますが(前職と同じ業種)、2008年10月1日頃に「クビ」になりました。本当に突然に「クビ」です。「もう、お前は明日から来なくていい」と本当に言われました。やはり上長に楯突き気味な態度が良くなかったのでしょう。
そのあとは11月下旬ぐらいまで無職でした。魚釣りに毎日行き、暇があるときは、ネット上で小説を書いて楽しく過ごしてました。
そして、12月初め頃に、某企業の社長さん(女性)に誘われて、再度、就職しましたが、翌年2009年の3月初めに自ら退職しました。とある一部門の「管理者」という役職ではありましたが、「中間管理職は俺には向かない」と悟りました(笑)。この時の社長さんには今でも感謝してます。無職で、お金に困っていた私に声をかけてくださいましたので。でも、今思えば、「未来の社長(私)が、中間管理職というポストに就くのは合わなかった」と思います。私のことを、「管理者向き」と、その女性社長さんは見たのでしょうけど。
※私は高校卒業後ぐらいから自身で薄々感じていました(根拠は無いのですが)。「自分はリーダーになる器だ」と。四柱推命を知らない頃から、「俺は将来、リーダーになる。トップとして采配を振るうようになる」と何となく考えていました。根拠はありませんが、そのようなイメージばかり頭に浮かんでいました。
2009年4月、個人事業主として開業する。税務署に開業届もすぐに出しました。
2009年3月に退職したあと、すぐに「起業準備」に入りました。とにかく、「会社勤めは嫌だ!人に使われるのはゴメンだ!自分で仕事しよう!」という気持ちしかありませんでした。所持金は当時「8万円」です。全財産が8万です。貯金はゼロ円。8万円を財布に入れてました(笑)。8万しか無い状態で「起業」なんて、客観的に見れば無謀なことだと思います。
M&L コンサルティング開業。チラシを2000枚刷って配ったが・・・・
開業する1か月ぐらい前から、つたないHTMLの知識でウェブサイトを制作してました。当初は「四柱推命」を前面に出す考えは一切なく、「企業へのコンサルティング」がメインの仕事と考えていました。その仕事を行う際に、必要なところで「四柱推命」を使おうという考えでした。よって、「四柱推命占い師」としてのM&L コンサルティング開業とは全く考えていませんでした。そもそも、私は、「占い師」が嫌いです(今でも占い師は嫌いです)。
店舗を構える金銭的な余裕は皆無でした。開業当初から、ネットを使っての仕事に「重き」を置いてました。とは言え、まずは近隣の方々へ「開業の周知」をしようと思い、自室のプリンタで2000枚のチラシを刷り、2009年の4月中旬に近隣にポスティングしました。誰かに手伝ってもらうわけでもなく、私1人で2000枚をポスティングです。足にできた豆の痛みこらえながらチラシをポストに入れました。つたないHTMLで作った完全自作のウェブサイトURLも載せていました。きっとサイトにアクセスが増えるだろう、そしてメイン業務ではない、四柱推命鑑定のほうに依頼が何件かあるのではないかと期待していました。
ポスティングしたが反応がほとんど無い・・
ポスティングを終えたのち、2週間ほどは、1から自作したウェブサイトへのアクセス動向をアクセス解析で見てましたが、数えるほどしか(10件ほど)、アクセスが無かったです。そして結局は、「1件」も四柱推命鑑定の依頼は来なかったです。2000枚チラシを配って、依頼が0件とは・・・と少し自信喪失しましたが、「ポスティングの効果があるのは、ある程度、その事業体が認知されていることが前提で、かつ信頼性があることが前提」という学びがありました。
開業したての、実績も何もない、1つも仕事をこなしていない、しかも「四柱推命」という何やら馴染みのない言葉が載ってるチラシを簡単に信用して、仕事を依頼する延岡人はゼロ人でした。
どうすればお客様が増えるかを、魚釣りしながら真剣に考える日々
仕事が欲しい!でも仕事が無い!サラリーマン時代は、次から次に仕事に追われていましたが、起業してみて、はじめて分かったこの感覚。「誰も仕事をくれない。自分で仕事を得ないと一銭も入らないし食べていけない!」。4月の仕事(収入)はゼロでした。ゴールデンウィーク中は毎日、地元の海岸に行き、「キス釣り」をしながら、「どうやったら仕事が得られるか」を真剣に考えました。
そして出た答えが「某サイトで無料回答しつつ、自身を知ってもらおう(有料のご相談につなげよう)」でした。そこで無料で命式を見ては、あれこれアドバイスを書いてましたね~。その某サイトで、だいぶ命式を見ましたし、勉強にもなりました。有料のご相談もチラホラいただきましたが、あまり効率は良くなかったですし、正直、あまり利益は出ていないです。
そして!ついに、その後のM&L コンサルティング発展の契機になる、「ツール」を2009年の10月頃から始めました。それは!ブログ。単なるブログです。ただのブログですよ。ワードプレスでもなく、いまいち評判の良くないFC2です(笑)。今思えば、開業当初から、「四柱推命ブログ」をやっていれば良かったと思います。数ある無料ブログの中から、FC2を選んだ理由は、以前からFC2でブログ書きを結構、やっていたので使い慣れていたのと、「FC2はSEOに強い」と何となく感じていたからです。
そのFC2無料ブログで四柱推命のことをあれこれ言いたい放題、書き始めました。すると、いきなり、その10月にご相談が10件以上、入りました。明らかに、「ブログ」の影響です。10月が8万円ぐらい、11月が10万超え、12月も10万超え、2010年以降はようやく月に20万の売り上げが出る月が出てきました(まだ毎月ではない)。開業当初はFC2無料ブログのおかげでM&L コンサルティングが潰れずに済みました。FC2ブログは結構長く、使用していましたが、3年ほど前にワードプレスに変えました。
たかがブログ、されどブログ。ブログは侮れませんよ。現在ではフェイスブックやら、ツイッターやら、インスタグラムなど色々ありますが、私はブログが最も性に合います。